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WWE2011まとめ
 2011/12/19(現地放送時)のRAWを見て、興奮冷めやらぬといったところで書きました。

 今年のWWEは、激動の年でした。
 といっても見ていない人間にはわからないでしょうから(見ていない人間がこの記事を読むのかはさておき)、昨年の出来事と今年の出来事を簡単にまとめてみます。

CMパンク(2011/11/30日本公演より)


2010年の出来事
1)ブレット・ハート復活とショーン・マイケルズ引退
 ブレット自身は、2011年にはほぼ無関係ですが、代わりに別のビッグスターが復活します。
 ブレットの復活に呼応するようにショーン・マイケルズが引退します。
 また、翌年のマネー・イン・ザ・バンクでは、モントリオール事件が再現されました。

2)NXT開始
 ダニエル・ブライアンの師匠としてザ・ミズが登場しますが、ブライアンのことが気に入らず、事ある毎に反目します。
 ザ・ミズはマネー・イン・ザ・バンクを行使し、WWE王座に輝きます。

3)ネクサス結成
 NXTのシーズン1卒業生で、ヒールユニットの『ネクサス』が結成されます。ネクサスはシナとの抗争を経て一度は解散しかけますが、2010年末に、CMパンクをリーダーとして再生します。

4)ランディ・オートンのベビーターン
 チーム・レガシーの弟子ふたりを倒し、なぜかベビーターンしました。

5)アルベルト・デル・リオの台頭
 PVを使い、2ヶ月かけて「自分は正直な男」と主張し続けたアルベルト・デル・リオ(ドス・カラスJr.)が、ヒールとして衝撃のデビューを果たします。

2011年の出来事
1)ザ・ロック復活
 ハリウッドからプロレス活動を禁じられているという噂の俳優にして元WWEスーパースターのザ・ロックが、レッスルマニアのホストになります。

2)レッスルマニアでザ・ミズがWWE王座を防衛
 何度もWWE王者に輝き、間違いなく「WWEの顔」であるジョン・シナとザ・ミズが王座を賭けて戦い、ザ・ロックの介入もあり、ザ・ミズが王座を防衛します。

3)CMパンクのシュート発言に端を発する一連の流れ
 CMパンクはシュート発言により、WWEを辞めたり辞めなかったりしますが、結局はマネー・イン・ザ・バンクで王座を獲得します。
 この事件の過程でヴィンス・マクマホンが会長を辞職、HHHがCOOとなりました。
 さらに、CMパンクのシュート発言の中に出てきた人事部長のジョン・ローリネイティス(ジョニー・エース)がRAWの臨時GMとなります。

4)エッジ引退
 『R指定のスーパースター』エッジが首のケガを元に引退しました。
 この後、エッジの親友クリスチャンがWWE世界ヘビー級王座を獲得しますが、5日でランディ・オートンに奪われ、ヒールターンします。
 WWE世界ヘビー級王座は転々とした後に、ダニエル・ブライアンの腰に巻かれることになりました。

5)アルベルト・デル・リオのWWE王座獲得
 アルベルト・デル・リオがデビュー2年目にしてWWE王座を獲得しました。

6)twitter大流行
 facebookとtwitterの流行を受けて、WWEの放送内でこのふたつが大々的に取り上げられました。
 ネットで積極的にオリジナルPVを作成し、独自の人気を集めていたザック・ライダーは、とうとうtwitterで署名を集め、US王座を獲得します。


2011/12/19時点の王者
WWE王座:CMパンク
WWE世界ヘビー級王座:ダニエル・ブライアン
US王座:ザック・ライダー
IC王座:コーディ・ローデス


 以下はすべて、私の推測であり、「私が作り上げたストーリー」と言い換えても構いません。
 というわけで、「続きを読む」からどうぞ。

 2010年までは、「親子で楽しめるWWE」を目指していました。
 レイティングシステムの低下は子供を取り込むことができ、視聴者の増加をうながせます。なにより子供は、将来の購買層としてバカにできません。
 プロレスが好きな子供が大人になれば、その子供をプロレスに誘うため、恒久的な視聴者の獲得が期待できます。それは、父親と離ればなれの子供時代を過ごしたというヴィンス・マクマホンの個人的な夢でもあるのでしょう。

 子供のヒーローとして活躍を続けて来たのが、ジョン・シナです(註1)。
 2007年に父親がパントキックの犠牲になって以来、ちゃらちゃらしたラッパーのキャラクターを捨て、ランディ・オートンと対立を繰り広げてきました。
 彼は親子の団結の象徴であると共に、「子供が頼れる近所のお兄さん」としてのキャラクターを得てきたのです。

註1)レイ・ミステリオも「子供のヒーロー」ですが、最近は出てきていないので、本記事では取り上げません。

 また、凶悪な敵ランディ・オートンも、2009年のジョン・シナとの激しいアイアンマン・マッチの結果、抗争の集結を宣言、「ライバル」としての地位を得ることとなりました。
 彼の必殺技RKOの美しさも相まって、ヒールを続けても声援を浴びるようになります。最後には、チーム・レガシーの弟子ふたりを裏切ったにも関わらず、声援はオートンに集まりました。オートンは、言ってみれば、「ヒールを続けることができなくなった」のです。
 こうして強面のベビーフェイス、ランディ・オートンが誕生しました。

 このようなファミリー路線は、確かに子供の支持を獲得できたと思います。が、オールドファンの不満を集めていたのも事実でしょう。
 新規顧客だけでなく、従来の顧客をつなぎ止めておくためにはどうするか。古いスターを復活させるのが手っ取り早いやり方です。もちろん、これまでもレジェンドを登場させ続けてはきましたが、数多くの遺恨を抱えたブレット・ハートの復活ほど衝撃的なものはなかったでしょう。

 2011年の、特に後半は、CMパンクの王座獲得を引き金に、ほとんどの展開していきます。
 まずは、CMパンク脱退に関するシュート発言。
 WWE上層部をさんざんなじった挙げ句、WWEの契約切れと共に王座ベルトを持っていくと発言し、さらにマイクを切られるという上層部の陰謀を匂わせるシーンは、WWEユニバースに大きな衝撃を与えました。
 さらに、マネー・イン・ザ・バンクでは、モントリオール事件の再現まで行われる凝りようです。
 CMパンクは、自分が「スーパースター」でなく「プロレスラー」であると語りますが、これは旧来のエンターテインメント路線への反発によるものです。
 もちろんシナリオの一部であるのですが、実際にWWE上層部とこうしたやりとりが為されたことは容易に想像できます。

 CMパンクの王座獲得以降、しばらくは、ベビーフェイスvsヒールという構造ではなく、WWE上層部vs不平分子の構造で番組が続きました。
 この構造を図で表すと、以下のようになります。

WWE上層部=エンターテインメント=ファミリー路線
vs
CMパンク=シュートスタイル(註2)=オールドファン

註)「シュートスタイル」といっても、本当の意味での「シュートスタイル」ではなく、エンターテインメントの反対語くらいの意味で便宜的に使用しています。

 つまりWWEは、「エンターテインメント=ファミリー路線を突き進む自分たち」をネタに、CMパンクというオールドファンの代表格をぶつけたわけです。
 これは先にも述べた通り、オールドファンのつなぎ止めでもありますが、内部での反省をストーリーラインとして明確化したとも考えられるでしょう。

 2011/12/19放送におけるメインカードは、実に象徴的なものでした。

CMパンク:WWEの革命児
ダニエル・ブライアン:関節技の名手
ザック・ライダー:ネットで大人気=一番ファンに近いレスラー
  vs
アルベルト・デル・リオ:MMA出身のリアルファイター
ザ・ミズ:リアリティ番組出身のパワーファイター
ドルフ・ジグラー:アマレス出でレスリング上手

 試合結果も、CMパンクでなく、「ブライアンがデル・リオからタップを奪う」というものでした。
 これは、シュートスタイルのエッセンスを(あくまで部分的に、ですが)導入しようとしているのではないか、と考えております。

 あ、そうそう。
 あけましておめでとうございます!
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テーマ:プロレス - ジャンル:スポーツ

[2012/01/04 23:30] | WWE論 |
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